Khao Phra Wihan遺跡
タイの東北部(東北タイ)とカンボジアは,東西に伸びるドンラック(Dongrak)山脈を境として南北に隣り合っている.カオプラウィハーン(Khao Phra Wihan)遺跡は,ちょうどこの山脈の稜線付近に位置し,長くカンボジア・タイ両政府の間でその所有権が争われてきた.国境を形成するドンラック山脈は,タイ側になだらかに傾斜する一方でカンボジア側には崖となって切れ落ちており,遺跡はタイ側の緩斜面にある.したがって地形から見ればタイ領とするのが自然であるが,1962年,国際裁判所の裁定によってカンボジア領となった. そのあたりの詳しい経緯と,現在まで続く「その後」については,別に取り上げたい. |
カオプラウィハーンは西暦11−12世紀の建設."Khao Phra Wihan"(「寺院の山」)というのは現在の呼び名.遺跡に刻まれた文字から,かつては"Sri Sikharisvara"(「栄光なる山の支配者」)と呼ばれるシバ神を祀る神殿であったことが分かっているという. 遺跡を構成する建築物は,主に,断崖の頂に建てられた宮殿と塔,そして4つの楼門である.これらが北から南へと一直線に伸びる石畳の参道の上に配置されている. 以下,下(北)から順に建物を紹介していく.(そういえば,クメール遺跡は東向きに建てられるのが常であるが,このカオプラウィハーンは北向きである.) |
石段と第1楼門
遺跡は急な石段で始まる.所々,登りやすいように木製のはしごがかけられているが,雨が降っているときなど足を滑らせそうで危ない.最後の20mほどはさらに急になっている.全長約200m,189段.最上段から下を望むと,「えらいところ登ってきたなあ」てなもんである. この石段,一部破損しているものの,全体的にはかなりきれいに残っている.石段の上のほうには,一枚岩を巧みに切り取って階段状にした個所がある. 階段の両脇の林は,今も地雷が残っているようで,立ち入り禁止の看板が見られる. |
入場ゲートと前面石段 | 石段の最上部から. |
急な石段を登りきったところが「ナーガ王の苑」である.両脇にナーガ王の像が,手すりか柵のように配置されている.
第1コプラは楼門であって,ここで信仰心を高めてから参拝したという.崩れ落ちてしまっていて,ほとんど原形をとどめない.ここにはカンボジア国旗が掲げられている.かつて,第1コプラの東面からは,現在のカンボジアがある低地に降りていく階段があったそうだが,現在では崩壊しており,どこにあったのかまったく分からない.
ナーガ王の苑 | 第一コプラ |
池
この池,遺跡案内の英語表記では単に"pond"となっているが,タイ語表記では「水浴池」.参拝前にここで体を清めたそうだ. 池のほとりには,小さな獅子の像がある.かつて獅子の像はたくさんあったらしいが,多くが盗難や破壊に遭い,この池のほとりのものほど完全に残っているのは少ない.台座が運べないために,足を切断して持ち去った例もみられる. |
水浴池 | 獅子の像 |
第2楼門
第1コプラから第2コプラの間の参道は,非常に長い(約320m).参道の両脇には,かつて石の柱が立ち並んでいたのであろうが,現在ではすべて倒れてしまっており,柱の台だけが残っている. カオプラウィハーン周辺は表土層が薄く,基岩である砂岩があちらこちらで地表に露出している.この砂岩はカオプラウィハーンの建築材料として用いられており,参道上にも,岩を切り取って平らにした部分がある.まるでバターか何かを切るように,造作もなく,器用に切り取られている.先の前面石段の最上部にもこうした個所が見られる. |
石畳の参道 | 砂岩の突起を切り取って平らにした個所.切り取った部分は参道の敷石に用いている. |
第2コプラも,第一コプラと同じく東西南北十字形の楼門である.正面の階段が崩れており,東側を巻いて登り,上(南側)の入り口から入る(正面を登って下の入り口から入れないこともない).下から見るとほとんど崩壊しているように見えるが,入ってみるとそうでもない.
建物の中には多くのレリーフが施されており,ほぼ完全な形で残っている.レリーフの題材についてカンボジア人ガイドにあれこれ聞いたのだが,彼と私の拙いタイ語では,神話のような空想の世界について理解しあうことは不可能であった.私に予備知識があればよかったのだが...おそらくモチーフとなっているのは「竜王カーリャを退治するクシュリナ」,「乳海撹拌」など,インド神話中の5つくらいの場面.タイの遺跡でこれほど見事なレリーフが数多く残っている例は,多分,ない.
3. 第2コプラ(正面) | 第2コプラ基部(北東側) | 上は有名な「乳海撹拌」 |
宮殿と主塔
頂上には,短い参道を挟んで上下2つの建造物群がある.
9.石畳の道と柱垣[thanon hin lae sao nang riang] 10. 小塔[prasat khanat lek] 11.大宮殿(第3コプラ)[phra maha monthian] 12. 大部屋[hong yai] 13. 東棟[akhan chiang-thit-tawan-ook] 14. 西棟[akhan chiang-thit-tawan-tok] 15. 石畳の道と柱垣[thanon hin lae sao nang riang] | 16. 第4コプラ[khopura chan-thi-4] 17. 回廊[rawiang khot] 18. 主塔前宮殿[monthian na] 19. 書庫[bannalai] 20.東棟 [akhan thang thit tawan-ook 21.西棟 [akhan thang thit tawan-tok] 22. 主塔[prang prathan] |
観光ガイド・カオプラウィハーン[namthiao khaophrawihan],ティダー=サラヤー博士,1999,より |
下側の建物は大宮殿(第3コプラ)とその両翼の建物(東棟・西棟),大部屋からなる.西棟はやや崩壊が進んでいるが,それ以外は建物の形を良く残している.中央の宮殿を通り抜けて,建物の裏に出る.
建物前面 | 大宮殿内部 |
西棟 | 大宮殿 | 東棟(いずれも裏(南側)から撮影) |
短い石畳の道を挟んで,最上位の建築物がある.第4コプラをとおり,回廊と石壁に四方を囲まれた中庭に出る.仏塔前宮殿などが配置されている.この主塔前宮殿には現在,カンボジアの僧侶が一人で寝泊りし,修行しておられる.石造りの狭い建物の奥に仏像が安置され,手前の隅には粗末な寝具がある.お願いすれば,御祓いをしてもらえる(要タンブン).パンサー明けの時には,タイ人が国境を越えてカオプラウィハーンにタンブンに行く姿が見られた.
石壁を隔てたさらに奥には,主塔があるはずで,鳥瞰図にも,その顕著な尖塔が描かれているが,何も見えず,主塔があるあたりには青いビニールシートがかけられている.どうやら崩壊しているようだ.
建物前面 | 北東側からの遠景 |
主塔前宮殿 | 回廊(西側) |
西の回廊に入って回廊の奥(南)の出口から外に出る.
遺跡のすぐ裏はがけっぷちになっており,カンボジアの大平原が見渡せる.
遠くのほうに見えるもやのようなものは雨.じきにこのカオプラウィハーンも雨雲に包まれる.
[参考文献]: 観光ガイド・カオプラウィハーン[namthiao khaophrawihan],ティダー=サラヤー博士,1999
※遺跡の売店にある.40バーツ.英語版も有.(著者のティダー=サラヤー博士は,タイ古代遺跡関係の著書を数多く出している.)