東北タイ――特に南部地域―――における火葬の習慣について

 火葬の方法には,遺体を数年間埋葬しておいてから焼く方法と,そのまま葬儀の直後に焼いてしまう方法との2通りがある.

 事故などで不慮の死を遂げた人の場合,その霊は悪霊になると信じられており,これが災いをもたらすことを防ぐため,必ず数年間埋葬しておいてから焼いていた.(註1).しかし現在では横死者の霊を恐れる考えよりも,手間を厭う気持ちのほうが勝っているのか,横死者でさえ,普通の死に方をしたように霊を欺くための儀式(これは必要に駆られての最近の発明であろう)というものを行なって,そのまま火葬してしまう.

 しかし通常死の場合でも,火葬が行なわれるまでの数年にわたる期間,遺体を収めた棺桶を寺の境内や家の近くなどに安置して,セメントで封印しておくことがある.これは,盛大な葬儀を行なうに十分な金がなく,資金が貯まるのを待つためであることが多い.また,Pira Sudhamの聞き書き "People of Esan" には,息子を寺男(デックワット)としてバンコクに送り出した父親が,自分の死に臨み遺した「息子が帰るまでは,自分の遺体を火葬したり埋葬したりしないように」との言葉に従い,遺体を収めた棺桶を,寺の境内の乾燥した場所に安置しておくという話が出てくる.どういう理由にせよ,火葬までの猶予期間を設けるときに,こうした安置手法がとられるようだ.

 

 火葬はかつてすべて野焼きの形であった.村内に"paa chaa"と呼ばれる場所がある場合は,ここで遺体を埋葬・火葬し,かつてはその遺骨をその"paa chaa"に埋めていたようだ."paa"は森を意味し,文字通り森に囲まれている.私の観察したところ,この"paa chaa"は少しだけ集落から離れ,かつ比較的大きな道に接した場所にあることが多いようで,道に接しているのは,薪や遺体の運搬の便を考えてのことであろう.

 この"paa chaa"がない村では,火葬は故人の家が所有する水田で行なわれ,遺骨もその近くに埋められる.火葬場が出来た後でも,故人の希望によって水田で荼毘に付されることもある.火葬を行なった水田の一角は,数年間耕作せずに放置しておく.


註:

(1)火葬してしまうと,肉体を失った霊魂が村に戻って災いをもたらすと考えられている[林:2000].ちなみに横死者の魂が悪霊になると恐れ,特別の方法で埋葬することでその封じ込めを図るという風習は,古代の日本にもあった[阿満:1996].戻る

現金収入の機会に乏しい農村でも,数万バーツの大金(東北タイ農村で丸一日農作業を手伝った際の労賃は70-150バーツ)が葬儀につぎ込まれることも珍しくないのである.

Pira Sudhamは東北タイ南部Buriram県在住である.

「埋葬所,火葬所,墓地」[冨田:1987]などと訳されているが,これには「森林」の意味が出ておらず,余り的確ではないように思う.


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